名古屋高等裁判所金沢支部 昭和60年(ラ)41号 判決
一 本件資料によると抗告の理由1の事実が疎明される。
二 そこで、まず本件特許発明の目的物質に、ピペリジノアルカノールの「誘導体」が含まれるか否かにつき判断するに、疎甲第二号証によると、本件特許公報中、特許請求の範囲第二項の記載に関し、「(ここで、Rはアルキルまたはアラルキルであり、R´はアルキルまたは薬学的に受け入れ可能なこれらの酸付加塩である。)のピペリジノアルカノールを製造する方法」と記載され、債権者主張の如く、「(ここで、Rはアルキルまたはアラルキルであり、R´はアルキルである。)のピペリジノアルカノールまたは薬学的に受け入れ可能な酸付加塩を製造する方法」とは記載されていないことが明らかであるが、右公報中の詳細な説明は本件特許の目的物質としてその塩を含めており、すべての実施例について、その塩の製造をも記載し、薬効についても、その塩の状態における効力を述べていることが認められる。そして疎甲第二〇号証の一ないし三、第二一号証の一、二によると、一般に酸または塩基とその通前の塩とは相互に容易に変りうるものであり、後者は前者から化学常識上容易に想到できかつ慣用の処理手段によつて製造できる関係にあると認められるから、本件における塩基性化合物であるピペリジノアルカノールとその塩(酸付加塩)、例へば酒石酸イフエンプロジルの関係も同様と解される。すると新規化合物たる前者を製造する方法の発明と、後者を製造する方法の発明とは同一発明と解するのが相当であり、訂正審判をまつまでもなく、特許法一〇四条の適用において後者は前者と「同一の物」と認めることができるというべきである。債務者の主張はいずれも採用できない。
以上によると、本件発明の目的物質には本体のみならずその「誘導体」をも含み、酒石酸イフエンプロジルは本件特許発明の目的物質の範囲に含まれると一応認められる。
三 次に債務者は、本件特許につき、手続補正書を提出した日をもつて出願日とみなすべきである旨主張する。しかしながら、
1 債務者は、原審提出の昭和五九年一〇月一五日付陳述書において、債権者の昭和四一年(一九六六年)九月二七日が優先権主張日であり、昭和四二年九月二七日が我が国における本件特許出願の日であるとの主張事実を認め、以来当審における債務者の昭和六一年七月二四日付準備書面(七)の提出日まで出願日繰下げの主張をしていないことが明らかであるから、右主張は時機に後れて提出された攻撃防禦方法というべきである。
2 のみならず、疎甲第二号証によると、債権者は、X基を水素で還元する反応(ア)とCOをCHOHに変換する反応(イ)とを段階的に行なうことを内容とする発明(X発明)、右ア、イの反応を同時に行なうことを内容とする発明(Y発明)の二つの発明につき、発明の構成要件の主要部を共通にする併合発明としての特許権の専用実施権を得ていることが認められるところ、債務者は右X発明につき昭和四五年四月一六日付或いは昭和四六年一〇月一五日付手続補正書をもつて右反応の順序に関し、明細書の要旨を変更した旨主張するが、債権者はY発明にかかる権利をもつて本件申立の被保全権利と構成しX発明の権利主張をしているものではないことが明らかであり、しかも債務者は、Y発明の反応の順序に関し、明細書の要旨変更があるとは主張していないから、X発明にかかる右の点の要旨の変更を理由とする基準日繰下げの主張は、本件については、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
3 また債務者は、Y発明にかかる特許請求の範囲に、原始明細書には記載されなかつた「ベンジル基」以外の「基」を昭和四五年四月一六日付及び昭和四六年一〇月一五日付手続補正書をもつて追加したのは要旨の変更に当ると主張する。そして疎乙第一号証の二、第二号証、第四号証、第五号証、第七号証によると、原始明細書の特許請求の範囲で「Xは水素で置換可能な基を表わす」と上位概念をもつて定義し、発明の詳細な説明において「X基はベンジル基が好ましく……」と記載し、ベンジル基以外の基についても潜在的に記載し、ベンジル基の実施例を示しているところ、審査官からの拒絶理由通知書を受けて、昭和四五年四月一六日付手続補正書でX基として「アセチル基」その他の「基」名を発明の詳細な説明で追加し、再度の拒絶理由通知により、昭和四六年一〇月一五日付手続補正書をもつて、特許請求の範囲にX基の定義として、「Xはベンジル、メトキシーメチル、アセチル、プロピオニル、およびトシルからなる群から選択された基を表わす。」を記載、補正したことが認められる。すると右補正された「基」名は、原始明細書に記載されていた「水素で置換可能な基」の下位概念に相当するものであつて、審査基準に合致するとして補正されたと解されるほか、基本たる「ベンジル基」に関しては、補正の前後を通じて何ら変更されていないというべきであるから、右手続補正は上位概念で記載された事項のより明確化のための補正、ないしは補正前の明細書の記載からみて自明な事項の追加と解されるものであつて、明細書記載の基本的範囲に変更はなく、従つて、いずれも要旨の変更に当らないと解するのが相当である。
以上によれば、債務者の右主張は理由がなく、本件では、昭和四一年九月二七日を基準日としてその物の公知性を判断すべきである。
四 債務者がエンセロン錠を製造販売していること、エンセロン錠には酒石酸イフエンプロジルを含むこと、酒石酸イフエンプロジルはピペリジノアルカノール誘導体であることは債務者において認めるところである。そして本件疎明資料によれば、前記基準日前において、右酒石酸イフエンプロジルは日本国内において公然知られた物でないことが認められる。すると、特許法一〇四条により右目的物質は本件特許発明にかかる方法によつて生産されたものと推定される。
五 債務者は、右目的物質は別紙(二)のロ号方法によつて生産されたものである旨主張する。この場合債務者は前項記載の推定を覆すため、(1)自己の生産方法を開示し、かつ(2)その方法が特許方法の技術的範囲に属しないことを主張立証(疎明)する責任があると解され、右(1)については、<1>生産方法自体の存在と、<2>その生産方法で目的物質の生産を実施していることの二点に分けられると解されるところ、本件資料によると、債務者開示にかかる本件ロ号方法自体の存在((1)<1>)と、その方法は本件特許の方法とは異なり技術的範囲に属さないこと((2))が疎明される。
しかしながら、右(1)<2>の浜理薬品が真実右ロ号方法をもつて本件目的物質を生産している点については疎明がないというべきである。即ち、
医薬品の製造業者は、製造所ごとに許可を受けなければならず、また特定のものを除く医薬品につき品目ごとに製造承認を受けなければならない(薬事法一四条、一八条)から、本件において浜理薬品がロ号方法により本件目的物質を製造しているというのであれば、まず薬事法上の製造承認が前提となるところ、本件資料によつても、同社の製造承認にかかる方法とロ号方法が一致するとの疎明はなく、また本件物質を製造している製造所(工場)につき適法な許可が得られているか否かについても疑問がある。もつとも、疎乙第四六号証によると、浜理薬品は、本件物質の製造方法に関し、昭和五六年一二月一日特許出願をしているが、右出願にかかる製造方法(実施例)と本件ロ号方法が同一であるとの疎明もない。すると、本件ロ号方法は右承認方法とも出願方法とも異なる方法ということになるが、本件資料によると、ロ号方法には、これを採用するための技術的、工業生産的な価値に疑問の存する工程が含まれ、またロ号方法に関する資料には化学的にみて疑問と思われる数値が多く存在することが認められるのであつて、前記の如くロ号方法については薬事法上の許可・承認を得たとは認められないこと、本件記録に表われた原審における債務者主張の変遷の経緯等をも総合して判断すると、浜理薬品が本件物質を真実ロ号方法をもつて製造しているとは認め難いというべきである。債務者の主張はいずれも採用できない。
六 すると、債権者主張の本件被保全権利については疎明があるというべく、また本件資料によればその保全の必要性も認められる。
よつて、原決定を取消し、保証を立てることを条件として別紙(一)記載の内容(但し申請の趣旨第一項については本件特許権の残存期間に限り)の仮処分を命ずることとする。
〔編註〕 本件特許明細書特許請求の範囲覆二項は左のとおりである。
「式
<省略>
(ここで、Rはアルキルまたはアラルキルであり、R´はアルキルである。)
のピペリジノアルカノールまたは薬学的に受け入れ可能な酸付加塩を製造する方法において、
<省略>
(ここで、RおよびR´は前記と同様であり、Xはベンジル、メトキシーメチル、アセチル、プロピオニル、およびトシルからなる群から選択された基を表わす。)
のケトンを加圧下、水素で還元して、X基の分離およびCOのCHOHへの変換を同時に行うことを特徴とする方法。」